皆さんは「電子」と聞いて何を想像するでしょうか? 多くの方は銅線の中を流れて電気を運んだり、原子の中に存在する小さな粒子というイメージを持っているのではないでしょうか。
実際、19世紀末にJ. J. トムソンが陰極線の研究を行ったことで、電子は負の電荷と質量を持つ「粒子」であることが明らかになっていきました。電場や磁場をかければ軌道が曲がり、検出器に飛び込めば特定の場所で検出されます。こうした振る舞いを見る限り、電子はまさに小さな粒子そのものです。
ところが20世紀に入ると、この「電子=小さな粒子」というイメージだけでは理解しにくい現象が次第に姿を現し始めます。そして「電子には波としての性質もあるのではないか?」という、それまでの常識を根底から覆す考えが登場しました。
粒子であるはずの電子が、なぜ波のように振る舞うのでしょうか? 今回は、電子の「粒子・波動二重性」が明らかになっていった歴史を、実験と理論の両面から追いかけてみましょう。
電子が波の性質を持つかもしれない…
波だと思われていた光に粒子性が見つかる
電子の波動性が発見された物語を理解するために、まず少しだけ「光」の歴史を振り返ってみましょう。なぜなら、「粒子であるはずの電子にも波の性質があるのではないか?」という発想は、その少し前に明らかになった光の不思議な性質から生まれたからです。
光の波と粒子の二重性については別の記事で詳しく解説していますので、ご興味があればそちらもご覧ください。
▶ 【図解】光は波なのか粒子なのか? ~光の二重性が明らかになるまで~
19世紀になると、ヤングの干渉実験やフレネルの回折理論、そしてマクスウェルの作り上げた電磁気学によって、光が「波」であることを示す証拠が次々と積み重なりました。光は干渉や回折を起こし、電場と磁場が振動しながら空間を伝わる「電磁波」であることも分かってきました。19世紀末には、光は波であるという考え方が物理学の確立した描像になっていたのです。

ところが20世紀に入ると、この常識が揺らぎ始めます。1905年、アインシュタインは光電効果を説明するため、光がエネルギー \(E=h\nu\) を持つ「光量子」として物質とエネルギーをやり取りすると考えました。波として広がるだけの光では説明しにくかった現象を、光を粒子的に扱うことで説明したのです。
さらに1923年、コンプトンはX線を電子に衝突させる実験を行い、散乱されたX線の波長が変化する「コンプトン効果」を観測しました。この結果は、光がエネルギーだけでなく運動量も持ち、まるで粒子同士が衝突するように電子と運動量を交換すると考えることで説明できました。
粒子にも「波」の性質があるはずだ ~ド・ブロイによる物質波の提案~
光はもともと「波」だと思われていたのに、粒子のような性質も持っていました。それなら逆に、これまで「粒子」だと思われてきた電子にも、波としての性質があるのではないか。この大胆なアイデアを提唱したのが、フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイ(Louis de Broglie)でした。ド・ブロイは物質と光の間に、このような対称性が存在するのではないかと考えたのです。
そして1924年の博士論文で、電子をはじめとする物質粒子にも「波」が対応するという物質波の考え方を本格的に展開しました。
ド・ブロイの発想が画期的だったのは、単に「電子にも波のような性質があるかもしれない」と主張しただけではありません。電子の運動量 \(p\) が分かれば、その電子に対応する波の波長 \(\lambda\) を具体的に計算できると予言したのです。
$$\lambda=\frac{h}{p}$$ここで \(h\) はプランク定数です。速度 \(v\) が光速より十分に小さければ質量 \(m\) の電子の運動量は \(p=mv\) と書けるため、
$$\lambda=\frac{h}{mv}$$となります。この \(\lambda\) は現在「ド・ブロイ波長」と呼ばれています。私たちの普段感知できる身の回りのスケールでは、運動量 \(mv\) はざっくり「1」のスケールです。それに対してプランク定数は \(h=6.626 \times 10^{-34} [\mathrm{J \cdot s}]\) なので、ド・ブロイ波長も \(10^{-34} [\mathrm{m}]\) (原子の大きさ1兆分の1の、そのまた1兆分の1くらい)程度となり、無視できるほど小さい値になります。

一方で、電子のような非常に小さい「粒子」においては、ド・ブロイ波長がその粒子と同程度の大きさとなり、様々な現象に対して波動性を考慮する必要が出てくるのです。光の波動と粒子の二重性に着想を得たド・ブロイの理論は、結晶での電子線回折実験だけではなく、当時の物理学会における難問だった原子構造の安定性に対しても大きな進展を与える画期的なものでした。
しかし、どれほど美しいアイデアでも、実験で確かめられなければ物理学の理論として確立されたとはいえません。それでは、電子に本当に波動性を持つことを確かめるにはどうすればいいでしょうか?
デヴィソンによる電子線回折の実験
偶然発見された奇妙な電子の回折パターン
実はド・ブロイが物質波を提唱するより前から、アメリカのベル研究所では物理学者クリントン・デヴィソン(Clinton Davisson)が、電子をニッケル(Ni)へ照射して、その散乱の仕方を調べる研究を行っていました。
ただし、当初の目的は「電子の波動性を証明すること」ではありません。低いエネルギーを持つ電子をNiに衝突させ、その電子がどの方向へ、どれくらい散乱されるのかを測定することで、電子と原子の相互作用や原子の構造を調べようとしていたのです。
実験の考え方は比較的シンプルです。真空容器の中でフィラメントを加熱して電子を放出させ、電圧をかけて電子を加速します。こうして作ったエネルギーのそろった電子ビームをNi試料へ照射し、そこから跳ね返ってくる電子を検出します。
電子の検出には、金属製の小さな容器で電子を受け止める「ファラデーボックス(Faraday box)」が使われました。電子が箱の中へ飛び込むと、その電子が持つ電荷によって非常に小さな電流が流れます。この電流を測れば、「その方向へ何個くらいの電子が飛んできたのか」を知ることができます。
さらに重要なのは、この検出器の位置をNi試料の周囲で変えられるようになっていたことです。検出器を少しずつ動かしながら電流を測れば、散乱角 \(\theta\) と散乱電子の強度 \(I\) の関係を調べることができます。
$$ \text{電子銃} \longrightarrow \text{電子ビーム} \longrightarrow \text{Ni} \longrightarrow \text{散乱電子} \longrightarrow \text{Faraday box} $$つまりデヴィソンたちが測定していたのは、簡単に言えば「Niに電子を当てたとき、どの角度に何個の電子が飛んでくるのか」という散乱強度の角度分布でした。
1925年、思いがけない出来事が起こります。実験装置の予想外の故障により、Ni試料が空気にさらされて酸化してしまったのです。試料表面を回復させるため、デヴィソンはNiを高温で加熱する処理を行いました。

この時、Ni結晶を高温で加熱したため、それまでは多数の小さな結晶粒からできていたNi結晶の再結晶化が進み、より大きな結晶領域が形成されたのです。これは氷を作るときに急速冷凍せずに、ゆっくり冷やすと透明度が高い氷ができることと同じ原理です。
そして、この試料を使って電子散乱の測定を再開すると、ある特定の角度にのみ多くの電子が散乱されるという現象が観測されました。これは電子やNi原子を古典的な粒子として考えると説明のつかない現象でした。
電子を古典粒子と見なした場合に予想される結果
実際にデヴィソンが行った実験結果を見る前に、少し脇道にそれますが、もし電子やNi結晶を構成するNi原子を古典粒子だとみなすと、どのような結果が予想されるのかを考えてみましょう。先に、古典的な状況での結果を考察することで、電子の波動性がもたらす実験結果がいかに奇妙かが直感的に理解できると思います。
実は、ラザフォードが1909年に行った原子構造を確かめるための実験が、まさにその状況を再現しています。ラザフォードの実験では、放射性物質から放出されたアルファ粒子を非常に薄い金箔に照射し、その後ろに置いた検出器を使って、アルファ粒子がどの方向へ散乱されたのかを調べました。
アルファ粒子は正の電荷を持った粒子です。一方、金原子の中心には正の電荷を持つ原子核があります。そのため、アルファ粒子が原子核の近くを通ると、同じ正電荷同士のクーロン力によって反発され、その進行方向が曲げられます。
原子核から遠いところを通ったアルファ粒子はほとんど曲がらず、そのまま前方へ進みます。一方、原子核のすぐ近くを通ったアルファ粒子ほど強い力を受け、大きな角度に散乱されます。さらに、原子核のほぼ正面へ向かったごく少数のアルファ粒子は、後方へ跳ね返されることさえあります。

ここで重要なのは、この散乱の様子がアルファ粒子を「小さな粒子」として扱う古典力学によって説明できるということです。原子核とアルファ粒子の間に働くクーロン力を使って運動方程式を解くと、アルファ粒子がどの角度にどの程度散乱されるのかを計算することができます。
その結果、散乱角を \(\theta\) とすると、ある方向へ散乱されるアルファ粒子の数は、おおよそ次のような角度依存性を示します。
$$N(\theta)\propto\frac{1}{\sin^4(\theta/2)}$$この式から分かるように、ほとんどのアルファ粒子は小さな角度に散乱され、大きな角度に散乱される粒子ほど急激に少なくなっていきます。つまり、入射する電子とそれを散乱する原子を、単なる古典的な荷電粒子と考えた場合、散乱角に対する検出数は滑らかで連続的な関数になるはずなのです。そして実際にラザフォードの行った実験結果も、この考え方で説明できました。
ド・ブロイ波の存在証明
それでは、電子をニッケル結晶へ衝突させた場合はどうなったのでしょうか? もう一度、デヴィソンが行った実験を思い出してみましょう。電子ビームをNi単結晶へ照射して散乱される電子の数を測定すると、特定の加速電圧と特定の方向において、非常に鋭い電子線のピークが現れました。
この実験結果は1927年、デヴィソンらによる論文「Diffraction of Electrons by a Crystal of Nickel」として、学術誌『Physical Review』に掲載されています。例えば電子の加速電圧を54 Vにセットすると、極角50°において、きわめて強い電子線の回折ピークが得られました。また、極角を50°に固定したまま、方位角依存性を測定するとNi結晶の対称性を反映した、60°周期のピーク構造が明確に得られたのです(下図参照)。

これは、電子を単なる古典的な粒子として考えるだけでは全く説明できない現象でした。もし電子がNi原子の力を受けて一つひとつ跳ね返されているだけなら、散乱量には角度による変化が生じても、結晶の特定の方向だけに電子が集中する鋭いピークが、結晶の周期構造に対応して現れる理由がありません。
しかし当時、物理学者たちはこのようなピークが現れる現象をすでによく知っていました。それはX線の結晶回折です。X線は波であるため、規則正しく原子が並んだ結晶へ照射すると、それぞれの原子面から散乱された波が互いに干渉します。多くの方向では波同士が打ち消し合いますが、特定の方向では波の山と山がそろって強め合い、非常に強い回折ピークが現れます。
デヴィソンが電子で観測した「特定方向に現れる鋭いピーク」は、波であるX線を結晶へ照射したときの回折パターンと非常によく似ていたのです。
そこでデヴィソンは、電子をNi単結晶へ照射したときに現れる散乱ピークを系統的に調べました。電子の速度を変えながら、どの角度、どの方位に強い電子線が現れるのかを測定し、それを同じNi結晶にX線を照射した場合に予想される回折パターンと比較したのです。
さらにこの時、ド・ブロイが予言したように、電子は運動量 \(p\) とプランク定数 \(h\) で表される波長 \(\lambda=h/p\) の「物質波」だと仮定すると、実験で観測された電子線の回折パターンが既知のX線回折のパターンと驚くほど明確に対応していることがわかりました。つまり電子は、単にNi原子にぶつかって跳ね返されているのではなく、X線と同じように、結晶の規則正しい原子配列によって回折されている「物質波」であることが確認されたのです。

こうして、「電子は波動性をもつ」というド・ブロイの大胆な予言は、デヴィソンらの実験によって裏付けられました。電子は一つひとつ検出されるという意味では粒子の性質を持っています。しかし、結晶の中では波のように干渉・回折する波としてふるまうことが明らかになったのです。
「電子の波」の解釈をめぐる理論研究
シュレディンガーの波動方程式
デヴィソンらの実験により、ド・ブロイの予言した電子の波動性が裏付けられました。しかし、それによってさらに大きな疑問が生まれます。水面の波なら水が上下しており、音波なら空気の圧力や密度の変化が伝わっていきます。また、光なら電場と磁場が交互に振動して伝搬していきます。それでは「電子の波」は、いったい何が波打っているのでしょうか?
ド・ブロイが1924年に提案した「物質の波動性」というアイデアを、電子の運動を記述する本格的な物理理論へと発展させた人物が、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレディンガー(Erwin Schrödinger)です。シュレディンガーはド・ブロイの物質波の考え方に大きな影響を受け、1926年、一連の論文によって現在「シュレディンガー方程式」と呼ばれている波動方程式を発表しました。
これによって、「電子には \(\lambda=h/p\) という波長がある」というド・ブロイのアイデアは、電子の状態そのものを波動関数 \(\psi\) によって表し、その時間変化や空間的な広がりを計算する「波動力学」へと発展していきます。

この新しい理論が威力を発揮したのが、原子の構造でした。それまでのボーアの原子模型では、電子は原子核の周りの決められた軌道だけを回ることができ、そのエネルギーは「とびとびの値をとる」と仮定されていました。ボーア模型は水素原子のスペクトルを見事に説明しましたが、なぜ電子がそのエネルギーしか持つことができないのかという根本的な理由までは説明できませんでした。
シュレディンガー方程式による原子像の革新
一方、シュレディンガー方程式を用いて原子核の周りの電子軌道を計算すると、三次元空間で安定に存在できる波動関数はどんなものでもよいわけではなく、きまった形の関数しか存在できないことがわかりました。これを理解するには、両端を固定した1次元の弦にできる定在波を思い浮かべると分かりやすいと思います。
両端を固定した弦では、どんな形の波でも存在できるわけではありません。両端では振幅が必ずゼロにならなければならないため、弦の長さにぴったり収まる波だけが安定した定在波として存在できます。基本振動、その2倍の振動数、3倍の振動数……というように、許される波の形が「とびとび」に決まるのです。
$$ L=\frac{n\lambda}{2} \qquad (n=1,2,3,\cdots) $$シュレディンガーが考えた電子の波にも、これとよく似たことが起こります。ただし、弦の波が1次元なのに対して、原子核の周りに存在する電子の波は3次元です。しかも水素原子では、電子は原子核からの電気的な引力を受けています。そのため、単純な一本の弦ではなく、原子核を中心として3次元空間に広がる波として考えなければなりません。その条件を満たす波だけを選び出していくと、許される波の形が自然に「とびとび」になって現れるのです。

そして、その許された3次元の波こそが、現在の高校化学で習う「1s軌道」「2s軌道」「2p軌道」などと呼んでいる電子状態です。たとえば1s軌道は原子核を中心に球対称に広がる最も基本的な波、2s軌道は同じく球対称ですが途中に波がゼロになる節を持つ波、2p軌道では球面調和関数によって方向性を持った波の形が現れます。
さらに、それぞれの許された波動関数には、決まったエネルギーが対応することです。両端を固定した弦で許される振動数がとびとびになるのと同じように、原子でも物理的に成立する電子の波を求めると、エネルギーも連続ではなく、とびとびの値として現れます。
ボーアの原子模型では「電子は決められた軌道しか取れない」「エネルギーはとびとびになる」という量子条件を最初から仮定していました。しかしシュレディンガーの波動力学では、電子を3次元の波として方程式を解くと、許される波動関数が限定され、その結果として1s、2s、2p…という電子状態と、とびとびのエネルギー準位が自然に導かれたのです。
このようにして、電子を小さな粒が決まった円軌道を走っているものとして考えるボーアの原子模型から、電子の状態を空間に広がった波動関数で表す原子像へと大きく変わったのです。そして、今日では原子核の周りの電子の分布は雲のように広がっていると考え、「電子雲」という言葉で表すようになりました。
ボルンの確率解釈
シュレディンガー方程式は、その後、原子や分子、化学結合、固体中の電子、さらには古典力学では説明できないトンネル効果など、ミクロな世界を理解するための基本方程式となっていきます。「電子にも波動性がある」というド・ブロイの着想は、物質の性質を実際に計算できる強力な物理学へと発展したのです。
しかし、シュレディンガーの理論が驚くほどうまくいく一方で、根本的な問題が残っていました。シュレディンガー方程式に登場する波動関数 \(\psi\) とは、物理的には一体何を表しているのでしょうか? 水面の高さでも、空気の圧力でも、電場や磁場でもありません。それでは、この「電子の波」の正体は何なのでしょうか?

実はシュレディンガー自身は、当初この波を空間に連続的に広がった電気的な分布と結びつけて理解しようとしていました。しかし、電気的な分布が波動関数にしたがって空間に広がっていると解釈すると、今度は古典的な電子の粒子性との両立が難しくなりました。電子は検出器で検出されるとき、空間的に薄く広がった状態ではなく、1個、2個と数えられる粒子として検出されるのです。
波動関数にまったく新しい意味を与えたのが、ドイツの物理学者マックス・ボルン(Max Born)です。1926年、ボルンはシュレディンガーの波動力学を粒子の散乱へ適用する中で、波動関数を「電子という物質そのものが空間に広がった波」と考えるのではなく、粒子がどこで検出されるのかという確率と結びつけて解釈する考えを提案しました。現在の量子力学では、波動関数 \(\psi\) の絶対値の2乗、
$$ |\psi(\mathbf r,t)|^2 $$が、その場所で電子を検出する確率密度を表すと考えます。つまり、\(|\psi|^2\) が大きな場所では電子が見つかりやすく、小さな場所では見つかりにくいのです。
こうして「電子の波とは何が波打っているのか?」という疑問に対して、電子の状態を表す波動関数が波として振る舞い、その波動関数から電子がどこで検出されるのかという確率を計算することができるという、現在の量子力学につながる電子の「波」の考え方が生まれたのです。
電子の真の姿をあぶりだす二重スリット実験
二重スリットを通過する電子の干渉
それでは本記事の最後に、電子が粒子性と波動性を併せ持つことを、極めてエレガントかつ直感的に示した実験をご紹介しましょう。そう、それこそ「二重スリット実験」です。
かつて、ヤングが光の波動性を実証するために行った有名なのが二重スリット実験です。光を二つの細いスリットへ通すと、それぞれのスリットから広がった光の波が干渉を起こします。山と山が重なれば強め合い、山と谷が重なれば打ち消し合うため、スクリーンには明暗が交互に並ぶ「干渉縞」が現れます。
では、電子を同じように二つの細いスリットへ通したらどうなるのでしょうか? もし電子が完全な小球でしかないなら、それぞれの電子は左か右、どちらかのスリットを通り、その先のスクリーンへ到達すると考えるのが自然です。
例えば小さなボールを二つの隙間へ大量に投げれば、スクリーンには二つの隙間に対応する二つのピークを持つ分布が現れるでしょう。ところが電子が波として伝わるのであれば、二つの経路に対応する波が重なり合い、光と同じような干渉縞が現れる可能性があります。
1961年、ドイツ・テュービンゲン大学のクラウス・ヨンソン(Claus Jönsson)は、人工的に作製した非常に細いスリットを使って電子の回折・干渉を調べた実験を発表しました。電子のド・ブロイ波長は非常に短いため、電子に対するスリット実験を実際に行うには、極めて微細な構造を作る必要があります。そのため、この実験は長い間、技術的に難しいものでした。

ヨンソンが二重スリットに電子を照射し、その後方に現れる分布を観察した結果、光の時と同様に二重スリットの後ろのスクリーンには干渉縞が現れたのです。当時、すでに金属の結晶などによる電子線回折から、電子が波動性を有することは明らかになっていましたが、ヨンソンは人工的に作製したスリットを用いて、電子の波動性を干渉縞という視覚的にわかりやすい形で示したのです。(この実験については、テュービンゲン大学博物館にも当時の資料が残されています。)
1個だけ飛ばした電子は干渉するか?
二重スリットの実験はここでは終わりません。実は、ヨンソンの実験から20年以上の時を経て、日本において「電子の波と粒子の二重性」を極めて直感的に理解できる実験が行われました。この実験は電子の二重性のみにとどまらず、量子とはどんなものなのかを視覚的に表現する実験として今日でもとても有名です。
ヨンソンの電子の二重スリット実験の結果を見て、干渉縞ができる理由を「電子に波動性があると考えると、スリットAとBに別々の電子が入射し、スリットの後方でこれらが干渉を起こして干渉縞を作ったのだろう。」と考える読者の方もいらっしゃるかもしれません。
もしこの考えが本当だとすれば、電子1つだけを見ると、それは粒子的であっても問題なく、ほかの電子と作用しあって初めて波動性が生まれる、という解釈もできます。ただし、実はこの考えは正しくありません。電子1つをとってみても、そこには波動関数で表されるような存在確率の空間的な広がりがあり、確かに波の性質を併せ持つのです。さて、いよいよ実験について見ていきましょう。
1989年、日立製作所の外村らは、電子線を極めて弱くし、電子が1個ずつ検出されていく様子と、その結果として干渉パターンが形成されていく過程を記録した研究を発表しました。この実験では、通常の意味での「二つの穴を開けた板」を使った二重スリットではなく、「電子バイプリズム」と呼ばれる装置を使っています。
電子バイプリズムでは、非常に細いフィラメントによって電子の波を二つの経路へ分け、その二つを再び重ね合わせることで干渉を起こします。装置の形は二重スリットとは異なりますが、「二つの経路に対応する電子波を重ねて干渉させる」という本質は共通しています。

実験開始直後、1個目の電子が到着すると、スクリーンのある位置に1個の点が現れます。次の電子は別の場所に1個の点を残します。その次の電子も、また別の場所に1個の点として検出されます。一つ一つの検出結果だけを見る限り、電子は完全に「粒子」のように見えます。
ところが電子の数を増やしていくと、最初はランダムに見えていた点の分布に、徐々に濃い場所と薄い場所が現れ始めます。そして十分な数の電子を蓄積すると、そこにははっきりとした「干渉縞」が浮かび上がるのです。
つまり「電子がスクリーンに到着する」という1回1回の出来事は粒子的なのに、多数の電子の到着位置を集めると、その分布には波の干渉が現れるのです。(日立製作所のウェブページにも、二重スリットの実験に関する説明が掲載されています。)
1個ずつ飛ばした電子が干渉縞を作る理由
外村らの実験結果は、たとえ電子を1個ずつ飛ばしたとしても、二つの経路に対応する電子波の間で干渉が生じることを物語っています。それでは、1個だけ飛ばした電子が二つの経路を同時に通るなんてことがあるのでしょうか?ここからは、この現象の本質を理解するため、より直感的な二重スリット模型に置き換えて考えてみましょう。
量子力学では、この現象を「電子という1つの粒子が途中で二つに割れた」とは考えません。最初、スリットに向かう1個の電子を波動関数 \(\psi\)で表します。この波動関数はド・ブロイ波長をもっており、空間的に広がった確率分布を持っています。

この波動関数が二重スリットに到達すると、どちらのスリットからも通り抜けたのかは識別できません。この時、電子は1粒にもかかわらず、その波動関数は両方のスリットを通過することを織り込んで、二つの波動関数 \(\psi_1\)、\(\psi_2\) の重ね合わせ状態になります。この時、もともと1個の電子を表していた全体の波動関数 \(\psi\) は、
$$\psi=\psi_1+\psi_2$$と表されます。さらに、ボルンの解釈通り波動関数の二乗を計算することでスクリーン上の電子の確率分布を計算すると次のようになります。
$$|\psi|^2=|\psi_1+\psi_2|^2$$ $$|\psi|^2=|\psi_1|^2+|\psi_2|^2+2{\rm Re}(\psi_1^*\psi_2)$$最後に現れる \(\small 2{\rm Re}(\psi_1^*\psi_2)\) が「干渉項」です。この項があるため、ある場所では電子が検出される確率が高くなり、別の場所では低くなります。例えば、二つのスリットの中間に入射した電子がスクリーン上の位置 \(x\) でとる確率分布 \(\small P(x)\) を計算すると、二つのスリットそれぞれからの波動関数の位相差 \(\small \Delta \phi\) を用いて、
$$P(x) \propto \cos^2 \left(\frac{\Delta \phi (x)}{2}\right)$$であることがわかります。つまり、スクリーンに到着した電子はスリットA、Bから到達する波動関数の位相差を変数として \(\small \cos^2\)で振動する存在確率を持つことになります。
また、この確率分布はあくまでも「確率」であるということも極めて重要です。いったん検出器で電子を検出してしまうと、確率の分布は意味をなさなくなり、粒子的に存在する場所が1点に決定します。従って、電子の個数が少ないときはランダムな場所に電子が飛んできているように見え、多くの電子を飛ばすことで初めて干渉縞が浮かびあがってきたのです。
まとめ ~電子は「粒子」でもあり「波」でもある~
ここまでの歴史をたどっても、私たちの頭の中から「結局、電子は粒子なのか、それとも波なのか?」という疑問は消えないかもしれません。しかし、この質問そのものが、電子はそもそも私たちが直感的にイメージする「粒子」と「波」のどちらかに分類できる存在ではないことを物語っています。
電子を検出すると、その結果は特定の位置に現れる1個の粒子として記録されます。一方で、その電子がどの位置に現れるのかを記述する量子的な状態には、重ね合わせや干渉、回折といった波に特徴的な性質が顔をのぞかせます。
私たちの直感をアップデートし、「量子とは粒子と波動の性質をあわせ持つもの」という考え方をインストールする必要がありそうですね。そして、この性質はさらに驚くべき様々な量子現象を引き起こすのです。是非皆さんも、さらなる量子の世界に目を向けてみてくださいね。