みなさんこんにちは、はてなクマです。
量子力学を理解するうえで、とても重要な入り口の一つが「光の二重性」です。光はあるときには波のように振る舞い、またあるときには粒子のように振る舞います。この不思議な性質こそが、古典物理学の常識を揺さぶり、量子論へとつながっていく大きなきっかけになりました。
しかし、いきなり「光は波でもあり粒子でもある」と言われても、その不思議さはなかなか実感できません。そもそも量子論が生まれる以前、物理学者たちは光をどのように理解していたのでしょうか。
実は19世紀までの古典物理学の発展によって、光は「波として振る舞う」ことが非常に強く確立されていました。干渉や回折といった現象が実験で確認され、さらに電磁気学の発展によって、光は電磁波として理解されるようになっていきます。
そこで本記事では、量子力学の話に入る前段階として、「古典物理学において、なぜ光は波であると考えられるようになったのか」を見ていきます。まずは「粒子」と「波」の違いを整理しながら、人類が光の波動性をどのように明らかにしていったのかをたどっていきましょう。
そもそも「粒子」と「波」って何が違う?
光の二重性についての話をする前に、まずはそもそも「粒子」と「波」がどういうものなのかについて考えたいと思います。古典物理学では、扱う対象が「粒子」か「波」によって、用いる理論体系を選択します。ですので、「粒子」と「波」という二つの性質は本来は交じり合わない別のものです。
粒子とは「質点」と見なせるもの
古典力学の範囲では、身の回りにある物体をどんどん小さく分けていくと、物体の運動に対して大きさや形がほとんど影響を与えない小さな塊にすることができます。このような小さな塊は大きさを無視した質量だけをもつ点、すなわち『質点』と呼ばれ、力学で運動を解析するときの基本要素となります。質点は私たちがイメージする『粒子』そのものであり、1個、2個と数えることができますし、位置と速度がわかれば古典力学を用いて未来の運動を完全に予測することができます。また、有限の大きさをもつ物体であっても、質点の集まりとして考えることで回転や変形などの複雑な運動も問題なく取り扱うことができます。

また、粒子を質点のイメージでとらえるとわかるように、大きさは無視できるほど小さいので、空間的の「ある一点」に存在している、と考えることができます。従って、完ぺきに同じ場所に同じ粒子を二つ置くことは不可能です。え、あたりまえじゃないかって? そうですよね、そんなこと小さなお子さんでもわかることですよね。ボールが重なって同じ場所に二つ存在する、何てこと日常生活では絶対経験しないですもんね。この粒子にとって当たり前の性質は、次に考える「波」とは決定的に異なります。そして、この「あたりまえ」を超えたところに、量子力学の面白さがあるのです!
波とは「振動の伝搬」
一方、波の代表例は水面に広がる波紋です。静かな水面に小石を落とすと、落とした場所から円形の波紋が外側へ広がっていきます。ここで移動しているのは「小さな水の粒や塊」ではありません。水面の上下運動が隣の場所へ次々と伝わることで、波というパターンが空間を進んでいきます。
音も同じです。話している人の口から空気の粒がそのまま耳まで飛んでくるわけではありません。空気の圧力の変化が次々と隣へ伝わることで音波が進みます。このように波とは、「空間的に広がった変化や振動が伝わっていく現象」と考えることができます。

波は粒子と異なり、空間的な広がりもって振動が伝わっていくことが本質であり、振動を伝える空気や水の分子自体は大きな意味を持ちません。従って、1個、2個と数えることもできないですし、「この場所に波がある!」と場所を1か所に特定することもできません。粒子の時に重要だった位置や速度ではなく、波の特徴は波長、振幅、位相で表されます。
また、粒子にない波の性質として、複数の波が重ねあわされて別の複雑な波を形成する「干渉」や障害物に当たるとそれを回り込むように波が進む「回折」があります。これらいずれの現象も粒子では起きえないもので、波の本質的な性質なのです。
光が「波」であると結論付けた古典物理学
ニュートンによる粒子説 vs ホイヘンスによる波動説
さて、ここからいよいよ光が「波」なのか「粒子」なのか、それともそのどちらでもないのか、について考えていきます。17世紀を代表する物理学者のアイザック・ニュートンは、光が物体に当たると影ができることや鏡で反射されることなどから、「光は発光する物体から放出された非常に小さな物体ではないだろうか?」と著書『Opticks』(1704年、ロンドン)の中で記載しています。つまり、光の直進性を根拠に光は粒子であると考えたのです。
もし光が波であれば、物体に衝突すると回折によって回り込むはずなので影はできないじゃないか、というロジックですね。この時はニュートンもあくまでも仮説として光の粒子性に言及しているだけであり、光の粒子性を決定的に証明する実験などは実施していませんでした。しかし、18世紀にはニュートンの学問的権威が非常に大きかったことなどもあり、粒子説が強い影響力を持っていたようです。

一方、ニュートンとほぼ同じ時代に、まったく異なる考え方を発展させていた人物がオランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスです。ホイヘンスは光を粒子の流れではなく「波」だと考えました。1678年に提示された考えは、後に『光についての論考』として出版され、現在でも「ホイヘンスの原理」として知られる光の伝播の考え方につながっています。
ホイヘンスの考えでは、ある瞬間の波面上にあるすべての点から小さな二次波が広がり、その二次波をつなぐ新しい面が次の瞬間の波面になります。この考え方を使うと、光がどのように進むのかを幾何学的に表現でき、反射や屈折の法則も説明できます。つまり17世紀の段階ですでに、「光は粒子」という考えと「光は波」という二つの見方が存在していたのです。
ヤングの干渉実験 ~光が「波」である強力な証拠~
光の波動説が大きく息を吹き返すきっかけとなったのが、イギリスのトーマス・ヤングによる19世紀初頭の研究です。ヤングは光を「波」と考えることで、それまで説明が難しかった光学現象を統一的に理解しようとしました。1801年に行ったロンドンの王立協会での講演で、ヤングは光が波であれば二つの光が重ねられたとき、互いに強め合ったり弱め合ったりする「干渉」が発生することを指摘しました。さらに1803年の同講演では、実際の実験によって光の干渉効果を実証しました。
ヤングが実際に実験に使った光源は太陽光でした。ヤングは窓の雨戸に穴をあけ、そこに貼り付けた厚紙に細い針で小さな穴(ピンホール)を開けました。そして屋外に置いた小さな鏡を使って太陽光を反射させ、この小さな穴からほぼ水平に室内へ光を導きました。そして、このピンホールから広がっていく光の途中に、幅がおよそ1/30インチ(約0.85 mm)の細いカードを置きました。一本の細いカードを光の中央に置くことで、カードの左側を通る光と右側を通る光の2つに分けたのです。

この時、カードの後ろには当然カードの「影」ができるはずです。ところがヤングがその影を詳しく観察すると、単なる暗い影にはなりませんでした。影の内部に、明るい部分と暗い部分が交互に並んだ細かな縞模様が現れたのです。しかも、中央の細いカードの片側から来る光だけを遮ってしまうと、この縞模様は消えてしまいました。つまり、縞模様を作るためにはカードの左右を通った2つの光が同時に存在する必要があったのです。
この結果は、光を「波」と考えると非常に自然に理解できます。もし光が単純に小さなボールのような粒子だけでできていると考えるなら、2方向から光が届いた場所は「粒子がたくさん届くので明るくなる」と考えるのが自然です。ところが実際には、2つの光が届いているにもかかわらず暗くなる場所が存在します。これは光が波として振る舞うことを強く示す現象でした。
ちなみに、現在「ヤングの二重スリット実験」として有名なのは、光を2本の非常に細いスリットに通し、その後ろのスクリーンに明暗の干渉縞を作る実験です。この二開口による干渉についてヤングが明確に記述したものは、1807年に出版された著書 A Course of Lectures on Natural Philosophy and the Mechanical Arts に見ることができます。
ニュートンの粒子説が圧倒的な影響力を持っていた時代に、ヤングが示した「干渉」は非常に重要な意味を持っていました。光が重なった結果、明るくなるだけでなく「暗くなる」ことがある。これは光が波として振る舞っていることを示す強力な証拠だったのです。
フレネルと回折 ~波動説は予言できる理論へ~
ヤングの研究をさらに発展させ、光の波動説を数学的な理論へと成長させたのが、フランスの物理学者オーギュスタン・ジャン・フレネルです。フレネルは1814~1815年ごろから光の回折について研究を始め、細い糸や物体の縁、狭い開口の近くを光が通ったときに現れる明暗の縞を詳しく調べました。そしてホイヘンスの「波面上の各点から新しい波が広がる」という考えと、ヤングの「波どうしが重なると干渉する」という考えを組み合わせ、回折によって生じる明暗の模様を数学的に計算できる理論へと発展させていきました。
1818年、フレネルはそれまでの研究をまとめた Mémoire sur la diffraction de la lumière(光の回折に関する論文)をフランス科学アカデミーに提出しました。ところが、その論文を審査していた数学者シメオン・ドニ・ポアソンは、フレネルの理論から奇妙な結果が導かれることに気づきます。点光源の前に小さな円形の不透明物体を置いた場合、フレネルの理論が正しければ、光が届かないはずの「影のど真ん中に明るい点が現れる」というのです。光の粒子説を支持していたポアソンにとって、これは波動説の不自然さを示す結果に思われました。

ところが、審査委員のフランソワ・アラゴらが実際に確かめると、円板の影の中心には本当に小さな明るい点が現れました。歴史資料では、この実験には直径約2 mmの金属製の不透明円板をガラス板に取り付けたものが使われたとされています。円板の周囲を通った光はその縁で回折します。そして円板の真正面では、円周上の各方向から回り込んだ波がほぼ同じ位相で到達して強め合うため、影の中心だけが明るくなるのです。この明るい点は現在「ポアソンの輝点(Poisson spot)」あるいは「アラゴスポット」と呼ばれています。
この結果が特に印象的なのは、実験結果を見てから説明を考えたのではなく、波動理論から「影の中心が明るくなる」という直感に反する現象が先に予言され、それが実験によって確認されたことです。フレネルの回折理論はその後1819年にフランス科学アカデミーの賞を受け、ヤングが示した光の干渉とともに、19世紀に光の波動説が広く受け入れられていく大きな原動力となりました。
光は「電磁波」だった ~マクスウェルによる電磁気学の統一理論~
お互いに影響を及ぼしあう電場と磁場 ~電磁誘導の発見と理論電磁気学の誕生~
ヤングが光の「干渉」を示し、さらにフレネルが「回折」を波動理論によって説明したことで、19世紀前半には「光は波である」という考えが急速に説得力を増していきました。しかし、光を波だと考えると新たな疑問が生まれます。「光が波なら、いったい何が波打っているのだろう?」という問題です。この問題に解答を与えたのがスコットランドの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell, 1831–1879)でした。マクスウェルはエルステッド、ファラデーらが相次いで発見して電気と磁気が互いに影響を及ぼしあう「電磁誘導」の概念を拡張し、見事に光が何の波なのかを突き止めたのです。
1820年、ハンス・クリスティアン・エルステッドは、電流を流した導線の近くで方位磁針が振れることを発見します。つまり、電流は周囲に磁気的な作用を生み出すことが分かったのです。さらに1831年、マイケル・ファラデーはコイルの近くで磁石を動かすとコイルに電流が流れることを発見しました。つまり「電気が磁気を生む」だけではなく、「時間変化する磁気が電気的な作用を生む」ことも明らかになったのです。
ファラデーはこの現象を考えるため、電流や磁石が周囲の空間に「力線(lines of force)」を作り、この力線が存在する空間に電気的・磁気的な性質が付与されるのではないか、と考えたのです。マクスウェルはこのアイディアを引き継ぎ、ファラデーが直感的に描いていた「力線」の考えを流体力学と類似の数学を用いて定量的に表現しました。1864年に王立協会へ提出した論文A Dynamical Theory of the Electromagnetic Field(電磁場の動力学的理論)において、マクスウェルは変化する磁場は電場を生み、変化する電場は磁場を生むということを数学的にまとめ上げ、電磁気理論を本格的に確立しました。ファラデーが発見した電磁誘導に、マクスウェルが導入した理論体系が加わることで、電場と磁場は互いに深く結びついた動的な存在として記述できるようになったのです。

電磁気学の方程式から現れた「波」の正体
ここで驚くべきことが起こります。マクスウェルの作り上げた電磁気学の理論によると、電荷も電流も存在しない空間であっても、電場の変化によって磁場が生じ、その磁場の変化によって再び電場が生じます。従って、電場と磁場の変化が互いに結びつきながら空間を伝わっていく波の存在が理論から示唆されるのです。マクスウェルがその波の伝わる速さを計算すると、真空中を伝わる電磁場の波の速度は、真空の透磁率\(\mu_0\)と誘電率\(\varepsilon_0\)を用いて次のように表されることがわかりました。
$$ c=\frac{1}{\sqrt{\mu_0\varepsilon_0}} $$この電磁的な波の速度を計算すると、およそ秒速30万kmという速さになり、当時すでに光学実験から求められていた光の速度と非常によく一致したのです。これはマクスウェルにとって決定的な手掛かりでした。マクスウェルはこの理論から電磁的な擾乱が有限の速度で伝わることを示し、その速度が光速と一致することから、光そのものが電磁場の波であると結論しました。さらに、マクスウェルの理論によれば電磁的な波である光は、真空中でも伝搬できるため空気中を伝わる音や水面を伝搬する波のような、伝搬するための媒質を必要としないこともわかりました。
まとめ
こうして光をめぐる理解は、ヤングの干渉 → フレネルの回折 → ファラデーの電磁誘導 → マクスウェルの電磁波へと大きく発展しました。19世紀末には「光は電磁波である」という考えは物理学の大きな成功となり、光の正体はついに理解されたかのように思われました。
ところが、この完成されたように見えた光の波動論に、まもなく重大な問題が現れます。黒体放射、そして光電効果です。20世紀に入ると、今度は「光は波だけでは説明できない」という、ニュートンの時代を思わせる問題が再び姿を現すことになります。物理学って面白いですね!