皆さんは「電子」をご存じですか? 現在の学校の授業では中学校2年生の「電流とその利用」という単元の中で、電流を運ぶ存在として学習するようです。さらに、今日では物質を構成する原子の周りをまわっている粒子、と理解されている方も多いと思います。
ところが、電子の存在がまだ知られていなかった19世紀においては、電子はあまりにも小さく、その存在を直接確認するすべはありませんでした。また、当時は「原子核と電子からなる原子」という、現在では当たり前になっている原子構造さえ知られていませんでした。
では、人類は目で見ることのできない電子を、いったいどうやって発見したのでしょうか? 今回は19世紀の後半から、電子の存在を確認するために何人もの科学者が情熱を注いだ研究をご紹介します。彼らの研究の結果、19世紀末には、陰極線の正体が「負の電荷をもつ、原子よりもはるかに小さな粒子」であることが明らかになっていきます。
それでは人類が電子を発見するまでの物語、スタートします!
電子発見のきっかけとなった「陰極線」
真空放電の研究はどのように始まったのか?
電子発見の物語は、19世紀に盛んになった「真空放電」の研究から始まります。ガラス管の両端に金属電極を取り付け、内部の空気を抜いてから高い電圧をかけると、残っている気体が美しく発光します。現在のネオンサインにもつながる現象ですが、当時の科学者にとっては、電気が真空に近い空間をどのように伝わるのかを調べる重要な研究対象でもありました。
この研究を大きく前進させたのが、ドイツのガラス職人・技術者ハインリヒ・ガイスラーです。1850年代、ガイスラーは水銀を利用した高性能な真空ポンプを開発し、それまでよりも内部の気体を大幅に減らした放電管を作れるようにしました。低圧の気体を封入したこの「ガイスラー管」に高い電圧をかけると、気体の種類や圧力によってさまざまな色や模様の放電が現れました。

そして真空技術がさらに進歩すると、不思議な現象が見つかります。1850年代末、ドイツの物理学者ユリウス・プリュッカー、ヨハン・ヴィルヘルム・ヒットルフらによって、真空度を高くした放電管では、陰極(マイナスの電極)の向かい側にあるガラス壁が蛍光を発し、外から磁石を近づけると蛍光の位置が移動することが報告されました。さらに、陰極と蛍光を発しているガラス壁との間に固体の障害物を置くと、ガラス壁の蛍光の中に障害物の影が現れました。
つまり内部の気体をさらに減らした放電管の中では、陰極から何かが放出され、それは光のように直線的に進み、磁場によって進む方向が変化し、ガラス壁に衝突すると蛍光を発生させるということが明らかになったのです。そして、この「陰極から出る何か」は陰極線(cathode rays)と呼ばれるようになりました。
陰極線は「粒子の流れ」であるという説
1870年代後半になると、イギリスの化学者・物理学者ウィリアム・クルックスが、さらに真空度を高めた放電管(現在はクルックス管と呼ばれている)を使って陰極線の研究を進めました。クルックスは、陰極線を細く絞って蛍光物質を塗った板に沿って飛ばし、その軌跡を目に見える形にする実験を行いました。外から磁石を近づけると、蛍光によって見えていた陰極線の軌跡そのものが曲がるため、陰極線が磁場の作用で曲がることを視覚的に観察できたのです。

またクルックスは、陽極の位置を変えた放電管を作り、陰極線が単純に「陰極から陽極へ向かう放電」ではなく、陰極表面から一定の方向へ放出される性質を持っていることも確認しました。
こうした数々の実験から、クルックスは陰極線を「陰極から高速で飛び出してくる物質の微粒子」だと考えるようになります。そして、1879年には陰極線が物質粒子の流れであるという考えを強く打ち出しました。
陰極線は「波」であるという説
ところが、陰極線は粒子の流れである、という説ですべてが説明できたわけではありません。陰極線の正体については、「陰極から非常に小さな物質粒子が飛び出している」という考え方のほかに、光のように空間を伝わる何らかの「波」ではないかという考え方もありました。

ドイツの物理学者ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツとフィリップ・レーナルトは、陰極線が非常に薄い金属箔を通過できることを見つけました。また、レーナルトはその後、放電管の一部に高真空状態には耐えられる薄い金属箔を取り付け、そこから陰極線を管の外へ取り出すことにも成功しました。
もし陰極線が当時知られていた普通の原子や分子のような物質粒子の流れなら、金属の膜を通り抜けるという性質は非常に奇妙です。当時知られていた物質の最小単位である原子や分子の流れでは陰極線の性質を説明しにくく、この結果は陰極線を「波」と考える根拠の一つになりました。
この謎に決定的な進展をもたらしたのが、J. J. トムソンが行った一連の実験でした。
電場と磁場が明かした陰極線の正体
力のつり合いから粒子の速度を求める
それまでに知られていた陰極線が電場や磁場によって曲げられる、という性質をうまく使って1897年にJ. J. トムソンが「陰極線は帯電した質量をもつ粒子である。」ということを示しました。トムソンは十分に真空度の高い放電管を用いて陰極線を細いビームとして飛ばし、その途中に電場や磁場を加えて軌道がどう変化するかを正確に調べる実験を行いました。
トムソンが行った実験を現代の高校物理的に単純化して説明してみます。電気を帯びた粒子は、電場や磁場の中を運動すると「ローレンツ力」を受けます。陰極線もローレンツ力によって曲げられているとすると、電場によって陰極線が受ける力は、
$$eE$$そして磁場によって受ける力は、
$$evB$$と表すことができます。ここで \(e\) は粒子の電荷、\(E\) は電場の強さ、\(v\) は粒子の速度、\(B\) は磁場の強さです。

実験装置の配置を工夫し、これら二つの力が逆向きに働くようにしたとき、その大きさがちょうど同じになるように電場と磁場を調整すれば、陰極線はどちらにも曲がらず直進します。この時、二つの力は釣り合っているため、「=」でつなげることができます。
$$eE = evB$$したがって、粒子の速度は
$$v=\frac{E}{B}$$と表されるため、実験で用いた電場の強さ\(E\)と磁場の強さ\(B\)から、粒子の速度\(v\)を求めることができます。この時点では、陰極線を構成する粒子の電荷 \(e\) も質量 \(m\) も分かっていません。それにもかかわらず、電場と磁場がちょうどつり合う条件を見つけるだけで、未知の粒子がどれくらいの速さで飛んでいるのかを求めることができるのです。
磁場による陰極線の曲がり方から「電荷と質量の比」を求める
陰極線の速度 \(v\) が分かったら、次は磁場によって陰極線がどれくらい曲がるのかを調べます。進行方向に対して垂直に磁場をかけると、陰極線はローレンツ力を受けて半径 \(r\) の円弧を描くように曲がっていきます。
この時、磁場によって発生したローレンツ力 \(evB\) が、半径 \(r\) の円運動に必要な向心力 \(mv^2/r\) (円運動をする物体を常に中心に引っ張ろうとする力) と見なすことができます。従って、
$$evB=\frac{mv^2}{r}$$と書くことができます。この式を整理すると、
$$\frac{e}{m}=\frac{v}{Br}$$となります。右辺にある \(v\) は先ほど電場と磁場を釣り合わせることで求めた速度、\(B\) は実験で加えた磁場の強さ、\(r\) は実際に観察した陰極線の軌道の曲がり具合から求められます。つまり、右辺にある量はすべて実験から知ることができます。

こうして、陰極線を構成する粒子1個の電荷 \(e\) や質量 \(m\) を直接測ることができなくても、その比である \(e/m\) を求めることができます。この値は「電荷・質量比」と呼ばれます。
そして、この電荷・質量比こそがトムソンの実験で極めて重要な意味を持ちました。陰極線について得られた値を、当時知られていた水素イオンなどの値と比較することで、陰極線を構成する粒子が既知の原子やイオンとはまったく異なる存在であることが見えてきたのです。
全く未知の粒子の発見
トムソンが得た結果は驚くべきものでした。トムソンが前述の実験を行った結果、陰極線を構成する粒子の電荷・質量比 \(e/m\) は、電気分解などで求められていた水素イオンの値のおよそ1000倍であることがわかりました。
この結果が意味するのは、陰極線を構成する粒子が「水素原子と同じ質量で1000倍の電荷をもつ粒子である」、あるいは「水素イオンと同じ電荷をもちながら質量は1/1000である」という可能性でした。特に後者は、物質の最小構成単位が原子であると思われていた19世紀末の物理学界にとって「原子よりはるかに小さな粒子があるかもしれない」ということを示唆しており、衝撃的なものでした。
さらに、放電管の中の気体を変えたり、陰極に使う材料を変えたりしても、陰極線から得られる電荷・質量比は基本的に同じでした。もし陰極線が特定の原子や分子そのものだったなら、材料を変えれば質量も変わり、実験結果も大きく変わるはずです。トムソンはここから、陰極線を構成する粒子は特定の元素だけに存在するものではなく、さまざまな物質の原子に共通して含まれる構成要素ではないかと考えました。
しかし、完全に結論を出すにはまだ情報が足りませんでした。トムソンの実験で分かったのは、電荷 \(e\) と質量 \(m\) の比であるため、「電荷が大きい」のか「質量が小さい」のかを完全に切り分けることができなかったのです。そこで登場するのが、アメリカの物理学者ロバート・ミリカンです。
ミリカンによる電気素量の決定
空気中に噴霧した小さな油滴に働く力
ミリカンは、まずアトマイザー(噴霧器)を使って非常に小さな油滴を作り、上下2枚の金属板の間に送り込みました。この過程で油滴は自然に帯電しており、その運動を横から光で照らしながら顕微鏡で観察します。油滴は非常に小さいため、肉眼ではほとんど見えませんが、光を当てることで顕微鏡の中では明るい点として観察することができます。
そしてミリカンは金属板に電圧をかけない状態で油滴を自然に落下させ、その速度を測定しました。この時、油滴には下向きの「重力」、上向きの「浮力」、そして油滴の運動とは反対向きに働く「空気抵抗」の3つの力が働いています。

油滴の半径を \(a\)、油の密度を \(\rho_{\rm oil}\) とすると、球形の油滴の体積は \(\frac{4}{3}\pi a^3\) なので、油滴に働く重力は次のようになります。
$$F_g=\frac{4}{3}\pi a^3\rho_{\rm oil}g$$ここで \(g\) は重力加速度です。一方、油滴は空気中に存在しているため、空気から上向きの浮力を受けます。空気の密度を \(\rho_{\rm air}\) とすると、浮力は油滴が押しのけた空気の重さに等しいので、
$$F_b=\frac{4}{3}\pi a^3\rho_{\rm air}g$$となります。そのため、重力から浮力を差し引いた「実質的に油滴を下へ引っ張る力」は、
$$F_g-F_b=\frac{4}{3}\pi a^3(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g$$となります。さらに、油滴は空気から上向きの抵抗を受けます。小さな球がゆっくりと流体中を移動するときの抵抗は「ストークスの法則」によって表すことができ、空気の粘性係数を \(\eta\)、油滴の落下速度を \(v_{\rm down}\) とすると、
$$F_{\rm drag}=6\pi\eta a v_{\rm down}$$となります。
落下速度から油滴の大きさが分かる
油滴は最初こそ重力によって加速しますが、速度が大きくなるほど空気抵抗も大きくなります。そしてすぐに「重力-浮力」と「空気抵抗」が釣り合い、それ以上加速しなくなります。この時の一定の速度を「終端速度」といいます。終端速度 \(v_{\rm down}\) で落下しているときには、
$$F_g-F_b=F_{\rm drag}$$なので、それぞれの式を代入すると、
$$\frac{4}{3}\pi a^3(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g=6\pi\eta a v_{\rm down}$$となります。両辺を整理すると、
$$a^2=\frac{9\eta v_{\rm down}}{2(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g}$$したがって油滴の半径 \(a\) は、
$$a=\sqrt{\frac{9\eta v_{\rm down}}{2(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g}}$$と求めることができます。つまり、非常に小さな油滴の直径を直接測定しなくても、油滴が一定の距離を落下する時間を顕微鏡で測定して \(v_{\rm down}\) を求めれば、その油滴の大きさを計算できるわけです。
電場をかけて油滴を上昇させると油滴の電荷がわかる
ここまでで油滴の大きさが分かりました。次にミリカンは上下の金属板に電圧をかけ、帯電した油滴に静電力を加えました。電場を \(E\)、油滴が持つ電荷を \(q\) とすると、油滴に働く静電的な力の大きさは、
$$F_E=qE$$です。電気力が上向きになるように電圧をかけ、重力による下向きの力よりも電気力を大きくすると、先ほどまで落下していた油滴は今度は上昇します。
上昇している油滴にも空気抵抗が働きます。ただし、今度は油滴が上向きに動いているため、空気抵抗は「下向き」です。油滴が上向きの終端速度 \(v_{\rm up}\) に達したとき、上向きの電気力と、下向きに働く「重力-浮力」および空気抵抗が釣り合います。
$$F_E=(F_g-F_b)+F_{\rm drag}$$それぞれの力を代入すると、
$$qE=\frac{4}{3}\pi a^3(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g+6\pi\eta a v_{\rm up}$$となります。ここで、先ほど電場をかけずに油滴を落下させたときの力のつり合い式を思い出してみましょう。終端速度 \(v_{\rm down}\) では、
$$\frac{4}{3}\pi a^3(\rho_{\rm oil}-\rho_{\rm air})g=6\pi\eta a v_{\rm down}$$という関係が成り立っていました。この関係を電場をかけたときの式を代入してみます。
$$qE=6\pi\eta a v_{\rm down}+6\pi\eta a v_{\rm up}$$したがって、油滴が持っている電荷 \(q\) は、
$$q=\frac{6\pi\eta a(v_{\rm down}+v_{\rm up})}{E}$$と求めることができます。ここで油滴の半径 \(a\) は、すでに電場を切ったときの落下速度から求めていますし、空気の粘性係数 \(\eta\) は既知の値、電場 \(E\) も金属板にかけた電圧と板の間隔から分かります。したがって、実験で測定する「落下速度 \(v_{\rm down}\)」と「上昇速度 \(v_{\rm up}\)」から、その油滴が持っている電荷 \(q\) を求めることができるのです。

なお、実際の油滴は非常に小さいため、ミリカンは単純なストークスの法則からのわずかなずれについても補正を加え、より正確な電荷を求めました。しかし実験の基本的な考え方は、「電場を切って落下速度を測ることで油滴の大きさを求め、電場をかけて上昇速度を測ることで油滴の電荷を求める」というものです。
油滴の電荷には「最小単位」があった
こうして1個の油滴が持つ電荷 \(q\) を測定できるようになりました。さらにミリカンは同一の油滴に対してX線を照射し、下降・上昇速度を測定する、という実験を数多く繰り返しました。X線を照射するのは、油滴周囲の空気を電離させ、油滴が持つ電荷を変化させるためです。電荷が変わると静電力 \(qE\) も変わるため、同じ電場でも油滴の上昇速度が変化します。そのたびに上昇速度を測定することで、同一の油滴を用いて異なる電荷を次々と求めることができました。
このような実験を繰り返したところ、非常に興味深いことがわかりました。油滴が獲得した電荷は、連続的な値をとるのではなく、ある一定の電荷 \(e\) の整数倍の値しかとらないことがわかりました。
$$q=ne\qquad(n=1,2,3,\ldots)$$つまり、電気にはどこまでも細かく分割できる連続的な量ではなく、「これ以上細かくできない基本的な単位」が存在することが実験から明らかになったのです。ミリカンは1913年の論文で、この電荷の基本単位を約 \(1.592\times10^{-19}\ {\rm C}\) であると求めました。これは現在知られている電気素量(\(1.602\times10^{-19}\ {\rm C}\))、すなわち電子1個分の電荷に非常に近い値です。

ミリカンが求めた電気素量をトムソンが求めた陰極線を構成する粒子の電荷・質量比に代入すると、この粒子が持つ電荷は水素イオンとほぼ同じである一方、その質量は水素イオンのわずか1800分の1程度しかないことが分かりました。
つまり陰極線の正体は、「水素イオンと同程度の大きさの電荷を持ちながら、その質量ははるかに小さい負の粒子」だったのです。この粒子こそ、現在私たちが「電子(electron)」と呼んでいるものです。トムソンの実験によって未知の微粒子の存在と \(e/m\) が明らかになり、さらにミリカンの実験によって電気素量 \(e\) が精密に決定されたことで、その粒子の電荷と質量を具体的な数値として知ることができるようになったのです。
まとめ ~見えない電子をどうやって発見したのか?~
電子の発見は、単一の実験によって突然成し遂げられたものではありません。真空技術の発達により陰極線が発見され、実験装置を改良することで陰極線の性質が次第に明らかにされていきました。そして、その積み重ねの先でトムソンが陰極線を構成する粒子の電荷・質量比の決定に成功しました。
また、ミリカンは油滴実験によって、物質が持つ電荷には最小単位があることを発見し、トムソンが測った \(e/m\) と組み合わせることで、陰極線を構成する粒子の質量まで求めることができたのです。これら一連の科学者の努力によって、物質内部には原子よりもはるかに小さく、電荷 \(e\) を帯びる「電子」が含まれていることがわかりました。
そして、この物語にはさらに驚くべき続きがあります。ここまでの実験を見る限り、電子は電荷と質量を持ち、電場や磁場によって軌道を曲げられる、まさに「粒子」そのものです。ところが20世紀に入ると、この電子を粒子と考えると説明のつかない実験結果がいくつも発見され始めたのです。物語は電子の二重性、そして量子力学の幕開けへと続いていきます。