量子コンピュータで「物質が生まれる瞬間」を再現!宇宙初期の物理に迫る

「何もないところから突然、物質が生まれる」。そんな不思議な現象につながる量子の世界の振る舞いを、量子コンピュータの中で再現することに研究チームが成功しました。対象としたのは高エネルギー物理で現れる「string breaking(ひもの切断)」と呼ばれる現象です。

米国デューク大学やメリーランド大学などの研究チームは、13個の原子イオンを使った量子シミュレーターによって、粒子を結びつける「ひも」に相当する領域にエネルギーが蓄積され、それが切れることで新しい粒子に相当する「電荷のペア」が現れる様子を再現しました。

こうした現象は、物質を構成するクォークを結びつける「強い力」と深く関係しています。また、ビッグバン直後の極端な環境で物質がどのように形成されていったのかを理解することにもつながります。今回の研究は、量子コンピュータを単なる高速な計算機としてではなく、私たちの宇宙を支配する量子現象を再現する「実験装置」として利用できる可能性を示しています。

クォークを引き離すと「ひも」が伸びる?

私たちの身の回りにある物質は原子からできています。そして原子核をつくる陽子や中性子をさらに細かく見ると、その内部には「クォーク」と呼ばれる素粒子が存在します。

クォークには非常に変わった性質があります。2つのクォークを引き離そうとしても、片方だけを取り出すことができないのです。クォーク同士には非常に強い力が働いていて、互いに結びついた状態を保とうとします。

この様子は、2つのクォークの間に「ひも」が張られていると考えるとイメージしやすくなります。クォークを引き離していくと、このひもがどんどん引き伸ばされ、そこにエネルギーが蓄積されていきます。

ところが、さらに引き離していくと意外なことが起こります。あるところで蓄えられたエネルギーから新しい粒子と反粒子のペアが作られ、もともとの「ひも」が切れたような状態になるのです。これが「string breaking(ひもの切断)」です。

つまり、クォークを無理やり遠くまで引き離し、十分なエネルギーが蓄積すると、そのエネルギーを使って新しい粒子が作られてしまうのです。アインシュタインの有名な式 \(E=mc^2\) が示すように、エネルギーと質量は互いに変換することができます。

13個のイオンで「ひもの切断」を再現

しかし、実際のクォークを自由に並べて引っ張り、その変化を観察することはできません。クォークは非常に小さく、単独で取り出すこともできないからです。

そこで研究チームが使ったのが「量子シミュレーター」です。実験では13個の原子イオンを一列に並べ、電磁場によって空中に閉じ込めました。そして精密に制御したレーザーを当てることで、イオン同士がどのように影響し合うのかを観察しました。

13個のイオンが持つ量子状態をうまく利用して、クォークを結びつける「ひも」が伸びたり切れたりする際に起こる量子力学的な変化を、別の量子の世界で再現したのです。

研究チームは、まず13個のイオンを通常の安定した状態とは異なる状態に準備し、その後どのように変化していくのかを時間とともに追跡しました。その結果、新しい電荷に相当する状態が現れ、「ひも」が切れていく様子を再構成することに成功しました。

なぜ量子コンピュータで再現するの?

今回の実験結果は、従来型のコンピュータによるシミュレーションとも比較され、正しく再現できていることが確認されました。したがって、今回の研究だけを見れば「スーパーコンピュータでも解けない問題を量子コンピュータが解いた」というわけではありません。

それでは、なぜ量子コンピュータを使うのでしょうか。量子の世界では、たくさんの粒子がお互いに影響しながら同時に変化します。粒子の数が増えるほど、考えなければならない量子状態の組み合わせは急激に増えていくため、従来型のコンピュータでその時間変化を正確に計算することはどんどん難しくなっていきます。

一方、量子コンピュータを構成している原子や量子ビット自身も、同じ量子力学の法則に従っています。その性質を利用して、調べたい量子現象を量子コンピュータの内部に再現してしまおう、というのが量子シミュレーションの考え方です。

今回と同じstring breakingについては、Googleの研究チームが超伝導回路を、QuEra Computingの研究チームが中性原子を使って、それぞれ異なる方式でもシミュレーションしています。今回のトラップドイオンを含め、現在の量子コンピュータを代表する複数の方式で同様の高エネルギー物理を研究できるようになってきています。

量子コンピュータで「初期宇宙」を調べる未来

String breakingのような現象は、非常に大きなエネルギーが存在する環境で重要になります。現在の地球上では大型ハドロン衝突型加速器(LHC)のような巨大な粒子加速器で研究されていますが、宇宙にもかつて、そのような極端な環境が存在しました。それがビッグバン直後の初期宇宙です。

もちろん、今回の13個のイオンがビッグバンそのものを再現しているわけではありませんが、量子コンピュータの規模が大きくなり、より多くの量子状態を正確に制御できるようになれば、従来のスーパーコンピュータでは追跡することが難しい、さらに複雑な物質の形成過程を調べられるようになるかもしれません。

「物質はどのように生まれ、現在の宇宙へと進化してきたのか」。その答えを探すために、巨大な加速器だけではなく、小さな量子コンピュータの中に「もう一つの量子世界」を作って実験する。そんな新しい研究が始まっています。

情報源・プレスリリース

University of Maryland / Joint Center for Quantum Information and Computer Science (QuICS), “Quantum Device Simulates Matter Popping into Existence”, September 25, 2026.

原著論文

Arinjoy De, Alessio Lerose, De Luo et al., “String-breaking dynamics in a quantum simulator”, Nature Physics, published September 23, 2026. DOI: 10.1038/s41567-026-03422-0

専門用語の解説

String breaking(ひもの切断)

クォークなどを結びつける「ひも」のような領域にエネルギーが蓄積し、新しい粒子のペアが生成されることで、ひもが途中で切れたような状態になる現象です。

クォーク

物質を構成する基本的な粒子の一つです。陽子や中性子は複数のクォークからできています。クォークは単独では取り出せず、常にほかのクォークなどと結びついた状態で存在します。

量子シミュレーター

制御しやすい量子系を使って、別の複雑な量子現象を再現する装置です。今回の研究では13個の原子イオンを使って、string breakingに対応する量子状態の変化を再現しました。

粒子・反粒子

多くの素粒子には、電荷などの性質が反対になった「反粒子」が存在します。十分なエネルギーがあれば、そのエネルギーから粒子と反粒子のペアを生成することができます。

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