なぜ学校で学んだことは役に立たないのか

皆さんこんにちは、はてなクマです。

皆さんの周りに「学校で習った事なんて役に立たない!」と言っている人はいませんか?最近、私もこの言葉を耳にしました。え!?そんなことはないだろう!と思い色々ネットで検索してみると、同じ主張を繰り広げるブログやSNSが結構あります。

自分自身の経験も振り返りながら、論争に終わりが見えない「学校ので習ったことなんて役に立たない」論争について深く考えてみた結果、得られた気づきは次の通りです。

  • 日常生活を送るには小学校までの知識で十分だし、確かに役に立ってない知識もいっぱいある。
  • でも学校の授業が役に立たないというのは思い込みの要素も大きい。
  • 全体的に見たら学校教育が人の生活に与える影響は超大きい。
  • そもそも何を学ぶのに役に立たなくてはいけない、という考えもいかがなものか。

そして何より、自分自身でそう思うならまだしも、現在進行形で学校に通っている生徒や学生さんに対して「そんな勉強はどうせ使わねぇ!」という発言・発信をすることは本当に無責任だなと思いました。

学校の授業が果たして自分の人生に役に立っているのか、と疑問を抱いた方はぜひお付き合いいただけると幸いです。もし、皆さんがお子さんから「学校の勉強は大人になって役に立つの?」と聞かれた時、どう答えるかのヒントにもなるかもしれません。

それでいってみましょう!

なぜ学校で習ったことは社会で役に立たないと感じるのか

日常生活で使う最低限の知識は小学校で習うことで十分

 冒頭の主張と逆行した、いきなり身も蓋もないことを言いますが、日常生活を送る上では読み書きと四則演算ができればほとんど事足ります。これは多くの人の実感している事だと思います。SNSに投稿するのも、ネットで検索して情報を得るのも、お店で買い物するのにも中学校以上で習う数学や英語、小難しい文法や古典、さらに科学的な知識なども必要ありません。つまり、中学校から先は勉強によって得られた知識量に対して、日常生活の快適さがあまり向上していくように感じられないので学校で習うことは無駄である、と感じるのです。

一方で、学校で習ったことが仕事で役に立つという実感を持っている人も少ないかも知れません。通常の業務では学術的なことよりもむしろ人との関係性だったり、スケジュールの管理だったり、効率よく作業を進める能力の方が重要になる場合が多いです。専門的な知識を必要とする一部の業務・職業以外は学問的な知識はそこまで重要ではなく、また専門的な知識自体も多くの場合は働きながら学んで身につけていくので学校教育の有り難みを感じる機会は少ないかも知れません。

学校での勉強が苦手なのでどうせ役に立たないだろうと思い込む

 おそらく学校の授業が役に立たないという人のほとんどは、勉強そのものが苦手なことが原因だと思います。小学校ぐらいでは成績の優劣を本人が明確に意識することはありませんが、中学、高校と進むについれて、自分は集団の中で勉強ができないんだ、この科目はどんなに頑張っても点数取れないんだ、という挫折を感じる場合があります。

これは勉強ができて点数を取ったほうがいいけど、実際にはいい点が取れないという認知的不協和の状態です。なので、点数が取れない事実はそう簡単に変えられませんから勉強が重要である、という認知を歪めて学校での勉強は役に立たない、という考え方になります。

そもそも理解度が低いので使えるレベルにない

 自分の持っている知識を何かに役立てるには、まずその知識自体をしっかり理解していることが必要です。学校で勉強したことなんて社会で役に立たない!と主張する人の多くは、ほとんどが学校で授業を受け、その理解度をテストで評価されただけです。テストで満点近い点数を取れていればまだしも、テストで赤点ギリギリだったような知識に関して、こんなのは習っても使えない、と切って捨てる様なことをいう人もいるでしょう。

当たり前の話ですが、よくわかっていない「こと」を使うことはできないのです。学習方法と内容の定着度合いの関係を表すラーニングピラミッドという概念があります。ラーニングピラミッドの信憑性自体は不確かなようですが、学習内容の定着率を大まかに言い表すには大変便利です。ある学問を身につけて使うための段階の一番初めは、やはり授業を聴講することです。これは読書でもいいですし、テレビやスマホで何かを見聞きすることでもいいかもしれません。一言で言うと、完全なる受け身で、何かの情報をインプットする状態です。この作業だけでは学習内容の深い部分まで理解が及ばず、なんとなく雑学程度に覚えてるだけ、と言うのが関の山です。ラーニングピラミッドに照らし合わせても、学習内容の20%前後を理解するのがやっとです。

学習における次の段階は、たとえばテスト勉強や実演などを通した能動的な取り組みや、人に教えると言った受け身のインプットではなく、自分の頭で考えてアウトプットも交えつつ行う学習方法です。アウトプット主体の学習方法によって定着率が向上することは皆さんも経験されていると思います。自分で自信を持って他人に説明できるぐらいまで理解できてこそ、その知識を初めて使う準備ができているのです。

役に立たないと感じることをそれでも学ぶ意義はあるのか

日常生活には不要な、それでいて仕事で役立つまでにはハードルが高い勉強をする意味はあるんでしょうか? 私は確実にある、と思います。以下でその理由を説明していきます。

自分を知るため

現代までに確立されている学問分野を幅広く、系統的に学ぶことのできる最高の場はもちろん学校です。最近はYouTubeなどにも充実した教育系動画が多数アップされていますが、自分の好き嫌いに関わらず、決められた時間だけ様々な科目に触れることができるチャンスは学校以外ではほとんどありません。

幅広い分野の内容を見聞きするということは「あ、この授業面白いな!」とか「うわ、全く興味惹かれない・・・」など、自分自身の興味について知る機会でもあります。また、学校での授業を通して、将来の職業選択につながるような発見をする人もいるでしょう。自分自信を知るという意味でも様々な分野に触れることのできるこうした機会は大変貴重です。

世界を知るため

 日常生活における最低限の知識は小学校でも身に付きますが、やはり世界はより複雑です。身の回りで起こる事柄を正しく理解するためには、中学校から先の勉強が大いに役立ちます。

 海外の情報に直接触れるには英語が大変役立ちますし、外国と日本の文化を比較する際にも歴史や宗教などに関する知識が必要です。季節や地方特有の気候を理解するためには理科や地理が役立ち、車や新幹線、ロケットなどの速さを実感するには数学が必要でしょう。例を挙げるとキリがありませんが、身の回りの事柄を理解して腑に落ちるためには、中学、高校程度で習う内容は必須なのです。

こういう風に書くと、こんなもの分からなくても生きていける、という反論がありますが、これは乱暴な意見です。なぜなら、人間の作る社会は条件反射だけではうまく渡っていくことが難しいからです。疑問に思った事柄に対して、考えを巡らせ腑に落ちる、という循環が人の思考を強くし、誤情報に惑わされない、そしていざという時に正しい判断をするための糧となります。こういった知識なしでは、考えられる範囲が狭まりとても窮屈な人生を送ることになりかねません。

可能性を広げるため

現実的なことを考えると、自分の進みたい進路によってはある一定の学力が要求されることがあります。医師や弁護士、もしくは教員試験などの国家試験に合格する必要がある職業では当然、クリアしなくてはならない学力のレベルが存在します。

また、自分の就きたい職業や待遇などから就職したい会社を選んだとしても、学歴社会の日本ではある一定レベルの大学を卒業していることが重要なポイントになることもあるでしょう。

自分のやりたいことを仕事にすることが幸せに直結するとは限りませんが、学力というハードルを超えられないがために目標をあきらめざるを得ないこともあるということです。自分の未来の選択肢を広げるためにも、学校での勉強はとても大切だと思うのです。

お金を稼ぐため

学校で習ったことが確実に役立つという動かぬ証拠を示しましょう。2019年の賃金構造基本統計調査 によると年収がピーク値をとる50~54歳の最終学歴と年収の関係は次のようになります。

  • 中学卒 279.5万円
  • 高校卒 307.3万円
  • 高専・短大卒 332.4万円
  • 大学・大学院卒 512.5万円

なんと中学卒と大学卒では年収に230万円以上もの開きが出ています。この数値は全体の平均値ですから、当然稼げる中卒の人も稼げない大卒の人も一定数いるはずです。しかし、平均値は明らかに学歴と年収に正の相関があることを示しています。

もちろん学歴による賃金格差は家庭環境や個人の性格の影響など様々な要因も含まれています。ですが、小中高で勉強する学習内容はともかく、最終学歴が高いほうが平均年収が高いという事実は、学校での勉強なんて役に立たないと切って捨てることはできないということを示しています。

極論、役に立たなくたっていい

さて、年収という生々しい話になってしまいましたが、はてなクマはものを学ぶということに役に立つか、いつ使うかなんてそんなことは二の次、三の次であると思っています。

学問は面白いから学ぶのです。子供と触れ合っていても、塾で生徒さんに講義していても、大学生に実験指導していても、何か新しい知識を得たときの彼ら彼女らの顔は興奮と喜びで満たされることろを見てきました。これが学ぶと言うことの原動力です。

数学の証明問題が解けたとき、飛行機雲のできる原理を友達に説明できた時、ニュースの内容が妙に腑に落ちた時、少し嬉しくなった経験はありませんか?人は知的好奇心をを備えているのです。

最近はコスパがいいものが持てはやされますが、勉強においてはすぐに役立つようなものしか必要ない、というコスパ重視の考え方にも私は懐疑的です。

すぐに役に立つ知識が欲しい、と言うのは大体大人になってから取り組む問題と自分の知識の間にギャップを感じて湧き上がる欲求です。それならその時、すぐに役立つ勉強を始めればいいのです。

学校ではそんなものを学ぶよりも、人として考える力をつけるために幅広い分野に触れ、普段の生活に役に立たなくても自分が面白いと思った分野はさらに深掘りして学べばいいのです。

最後に

学校で習ったことは役に立たないと主張する大人ってすごくカッコ悪いと思うんです。だって、社会に出て自分が選んだ職業でたまたま使わなかっただけ。

子供のうちは将来どんな職業につくのか、無限の可能性を秘めています。その段階で、どれが役に立ち、どれが不要な知識なのか決めることができるのでしょうか?

大人たちが不要であると文句を言う科目を授業で習い、新しい考え方に初めて出会うことで、その分野に興味を持ち、進路を決める人も必ずいるはずです。

世の中にはもちろん中学校卒業した後に事業を起こし大成功している人も山ほどいますし、勉強なんかしなくても幸せに生活できている人も沢山いるでしょう。それはそれで素晴らしいことですが、自分が感じている学校の勉強が役に立たない、という実感はその人の個性でありその人の人生において培ってきた実感でしかありません。つまり、結果論です。

これと同じことがすぐ近くの人にも当てはまるはずがないのです。特に、学校で勉強に取り組んでいる最中の小・中・高校生に対して、お前のやっていることは役に立たない!と主張する周りの大人やブログなどのメディアは最悪です。勉強が嫌いになったその子供たちの人生を全て保障できない限りは、このような無責任な主張はするべきではありません。

何よりも新しいことを学んで、自分をアップグレードしていくことは人生においてこの上なく楽しいことなのです。この記事が皆さんの学びのモチベーションにつながると幸いです。

最新情報をチェックしよう!